認知症

  • 父のこと

    父のこと

    父のことを少し書こうかな。今は認知症なので、会話をしても「うん、うん」しか言ってくれないけど… 6年前まで、フロリダに1人で来ていました。アメリカ国内で乗り継ぎして、入国審査も問題なくて、ホント凄いなって。 父は中学卒業後に集団就職で寿司屋に就職したから、料理は得意だったけど、勉強は苦手。しかも、戦後すぐ学校に通っていたから、英語はほとんど勉強しなかった時代。 英語のアルファベットが全部言えないので、父がアメリカに来る時は、事前に私が紙に英語のフレーズと発音をカタカタで書いて、それを自宅に手紙と一緒に郵送。時間がある時にそれを覚えて、私がいるフロリダまで来てくれました。 残念ながら、今はもう無理…11月にハワイに一緒に行ったけど、誰かのヘルプがないと、ちょっと難しいかな。 父のお父さんは、第二次世界大戦で亡くなっています。父が生まれる前に兵士として戦場に行ったきり、行方不明。だから、父は、実父の顔を見たことがありません。父のお母さんは三味線の師匠だったので、2人だけの生活には困らなかったそう。でも、20歳の時に、突然亡くなりました。 中学卒業後は、集団就職で東京へ。寿司屋に弟子入りして、修行の日々。20歳を過ぎた頃に、叔父さんと一緒に寿司屋を経営。 ある日、お母さんの昔の教え子がお店に来て、「息子が選挙に出馬するから、サポートをして欲しい」と言われて快諾。お互い子供の頃から知り合いで、父はずっと客商売をしていたので、秘書の仕事が向いていたそう。 父のお母さんの昔の教え子は良家の娘さんで、政治家に嫁いだ人。代々政治家の家系で、みんな大卒。父がサポートしていた人も、アメリカの大学で勉強した経歴。ちょっと意外な組み合わせだったけど、いつも一緒に過ごしていました。 私は小さい頃、母から「同級生に、父の仕事を言わないように」と言われていました。父が会社員ではないことに、なんとなく気づいてた…だって、平日はいつも夜遅く帰ってきてたし、週末もほとんど家にいなかったから。それに、外出する時は、いつも高級ブランドの服を着たり、高級レストランやホテルに行くこともあったから。行くと、スーツ姿の男性達が大勢いたり。 後に、父が仕事場に連れてってくれるようになったので、色々事情があるだなっていうことを知るように。政治家さんにも子どもがいて、長女と私は同い年。小さい頃は、よく一緒に遊びました。これは、前のブログにも書いたと思います。 状況が変わってきたのは、私が高校生ぐらいの時かな。政治家さんが選挙で落選したのが始まりで、色々問題が出てきました。それで、父の仕事も変わって、親族が経営している会社で働き始めたけど、新しい環境に適応するのが大変だった様子。 私は父と母が口論しているところを見たことがあるし、父は入り婿だから、私の祖父 (母のお父さん) からも相当言われたみたいで、かわいそうだなって。母も板挟みになってて、そのストレスのはけ口が私に。まあ、それ以前から、精神的に安定していないところがあったけど、その頃から口論がヒートアップ。 大学に入学してから一時的に母との関係は良くなったけど、異性との交際で意見が合わなくて、再び対立。その時は祖父が間に入ってくれたけど、少ししてから祖父が別のところで生活するように。 言葉は悪いけど、自分の味方をしてくれる人がいなくなったから、私は家にいたくなかった。とにかくその頃は、お金を稼ぐことと勉強に集中。週末は、友達のアパートに何人かで集まって、よく一緒に過ごしたり。同世代が集まると、学校、仕事、趣味のどれかの話になって、朝まで語り合ったことも。 そうこうしているうちに、友達が社会人になって、私も大学に通いながら郵便局でお仕事を始めたり。自分の稼いだお金で親元から離れて生活することもできたけど、いつか留学したい気持ちがあったから。 10歳年上の相手とは、共に忙しかったし、同じライフステージにいなかった…だから、お互い自然に離れていった感じです。20年以上前は公務員だったし、別の職員さんから、「数年毎に転勤があるけど、結婚すると融通が利くこともある」って聞いたから。その時に、やっぱり年齢差ってあるんだなって。 誰かのために、私は目標をあきらめたくなかった…当時、私の在籍大学は、社会人も受けいれていました。講義は、午後9時頃まで。私は夕方や夜の講義の方が好きだったから、講義の後に友達と一緒に食べたり。寝るだけのために、家に帰る生活だったと思います。しかも、早朝から仕事だったから、家でのんびり朝食を食べる時間もなかったぐらい。 父と2人でいると、ホント静かで平和。 父が母の味方をしていたというより、父が母の言い分を全部受け止めていたから。 父がフロリダに来た時、実は「できちゃった結婚」だったことを聞きました。入籍は、私が生まれる2週間ぐらい前にしたって。父と母は10歳違いで、父には結構な額の借金があったから、私の祖父母は結婚を反対。それで、強行突破で一緒になったって。 思わず、「なんでお母さんは、私の交際を反対したの?」って聞いたら、「お前に苦労をさせたくなかったんだろう…」って。 でも、私の方がまともな考えを持っていたように思えたのは、なぜだろう…? (笑) フォトアルバムを見ていたら、2017年頃に温泉旅行に行った時の写真を発見。この旅館は、コロナパンデミックが始まってすぐなくなったけど… 昔のように話ができなくなったけど、父には長生きして欲しいです。   Photos by LILI @liliflorida on Tumblr   Read more


  • 3月に入り…🌸

    3月に入り…🌸

    3月が始まりましたが、気分は1月のままです。2月はどこ行った…?(笑) 最近、日本人ブロガーさん達の梅の写真を見て、あ、もう春なんだ…って思います。桜なんて、もう10年以上見てないかな。大体、いつも5月や6月に日本に行くことが多いので、桜は散った後…5月上旬ぐらいなら、北海道はまだ咲いてるかも? 数週間ぐらい前から、日本行きの航空券の検索を始めました。今年は大阪万博があるので、航空券の値段が高くなるかな?と思っていたのですが、今のところ例年とそんなに変わらない感じです。今年は、長女が小学校を卒業します。なので、日本国内でどこか行けたらいいなって思っています。 候補として挙がっているのが、富山と淡路島。ずっと父とゆっくり旅行に行っていないので、一緒に家族旅行をする予定です。 父は、2月からデイケアに通い始めました。まだ軽度の認知症なので、母が家にいない時だけ利用しています。 上が施設の写真ですが、なかなか素敵なところだと思います。料理の献立が美味しそう! 私の祖母も特別養護老人ホームに入居する前は、別のデイケアに通っていました。祖母は70歳になる前ぐらいから車椅子で生活していたので、送り迎え付きでスタッフがいつも同伴してくれました。 祖母の場合、家の中で転倒したり、嚥下障害で救急車に運ばれたりしたことも。救急車を呼ぶと、救急隊員の方達がすぐ駆けつけてくださったのですが、私の祖父が昔消防署長だったこともあって、(祖父のことを知ってる)隊員さんの中には、祖父に頭を下げる人もいました。祖父はそうされるのを嫌がってて、救急車が到着した時は、私や他の家族が対応することが多かったです。 部下に何かしてもらうことに、抵抗があったのかな?祖父は、体調が悪くてもいつも、「救急車は呼ぶな!」って言ってたし、最期は病院に入院することを選びました。 日本行きの方は、色々プランを考えているところです。少し長く滞在したいな…色々やりたいこともあるし。 父の利用しているデイケアの見学もしたいです。 いつもプランはいっぱい考えるんですが、なかなか実行しない自分がいます。(笑)   Photos by LILI & 写真AC 3月に入り…🌸 – LILI EN FLORIDA (muragon.com) @liliflorida on Tumblr Read more


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  • 4日ぶり…

    4日ぶり…

    4日ぶりの投稿になります。父の認知症の検査結果が来週分かるので、私も色々調べていました。今1人でどれくらい出来るのか母に聞いたところ、トイレとお風呂はサポートが要るとのこと。私が去年日本にいた時と比べると、やっぱり悪くなっています。 今週、区役所の人と介護支援専門員(ケアマネジャー)が家に来て、母が父の今後についてを相談。まだ介護は必要ないけど、要支援2レベルぐらいで、来週の検査結果が分かり次第、今後のケアプランを作って頂けるそうです。 昔と変わったなぁ… 祖母の時は、特別養護老人ホームに入居。私が大学生になった頃で、祖母が亡くなるまで週に1~2回、ボランティアスタッフとしてピアノ(キーボード)で童謡を弾いて、入居者の方達と一緒に歌ったことを覚えています。ここに入居していた方達のほとんどが、80代以上の高齢者。祖母は70代と若い方でしたが、パーキンソン病だったため、24時間サポートが必要でした。 祖父の時は、私の母(実の娘)が自宅で介護していました。祖父は私には優しかったけど、若い頃は家父長制の考え方が強かったため、母は複雑な気持ちに。この時は、私の父も積極的にサポート。亡くなる少し前に病院に入院することになり、最期は病室で息を引き取りました。 祖父が亡くなってから、約17年。昨日は、父がアメリカに来た時の写真を集めて、スライドショー作りをしました。父はパソコンが使えないので、スライドショーはLINEで母に送信。「後で一緒にみる」って、返信が来ました。 ちょっと自慢になってしまうかもしれませんが…私の父は英語が出来ないけど、1人で私に会うために、フロリダまで来たことがあります!しかも、1回だけでなく、3回。父の英語が出来ないというのは、ちょっと分からないレベルではなくて、英語のアルファベットも全部読んだり書いたり出来ないレベル(父は戦時中生まれで、最終学歴は中学卒業)です。 1回目は、私の結婚式の時。入国審査の時に英語で質問されるので、英語で書かれた結婚式の招待状と手紙に英語で父の渡航目的を書いて、実家に送りました。入国審査の際に色々聞かれたみたいですが、私が実家に送った結婚式の招待状を見せながら、父は笑顔で「My daughter, wedding, OK? 」って答えたそう。 2回目は、長女が生まれた時。長女の写真を実家に送っていたので、入国審査の際に父は長女の写真を見せながら、「My granddaughter, I am Grandfather! 」と言ったら、「OK, OK, Congratulations! 」って。 3回目は、私のアメリカの大学院の卒業式の時。この時も、卒業式の案内メールを母に送信。母がそれを印刷して、父に持たせました。私の卒業式に参加した後は観光して、クリスマスと新年を一緒に過ごしてって、とても充実した時間。 たしかこの時は、日本に帰る前日に大雪。アメリカ国内の多くの便が、変更や欠航になりました。父の乗る便はヒューストン経由だったので、変更や欠航はなかったです。 悪天候の影響で、飛行機が変更や欠航することはよくあります。前に、「フロリダ行きの飛行機の行き先がホノルルに変更したことがある」と書いたことがありますが、アメリカでは、天候以外の理由で変更や欠航になることも。 父には予め、「冬の時期に、北の州の空港での乗り換えは避けるようにしてね」と伝えて、日本の旅行会社で航空券の手配をしてもらいました。私の話をしたらしく、旅行会社の人から、「そこまで考える人は初めてです」って言われたって。私だって実際に体験するまで、考えたことなんてなかったです。そういえば、同じくテキサス州内の空港…空港と航空会社は違ったけど。 (笑) 今後、父がフロリダに来ることは難しいかもしれません。でも、日本国内なら一緒に行けると思うので、プランを考えています。 昔、父と2人で猿投温泉に行ったことがありますが、ずっと話して、美味しい料理を食べて、温泉に入ってって感じで過ごしました。父は優しい性格なので、今まで口論したことってないかも。そもそも、口論になる理由がないし、父とだと会話もスムーズ。ここに母が入ると、なぜか複雑になるというか… 私は、「後悔」という言葉が嫌いです。後で過去のことを考えるくらいなら、最初からやっておいた方が良いと思うタイプ。自分で決めたことをやるので、ずっと真面目に取り組んできたと思います。少なくとも今までは… 以前、母から「あなたは自分勝手に生きてるから、後悔ばかりでしょ?」って言われたことがあります。でも、私は言いました。「後悔なんてしたことないよ。私にそう言ってくるってことは、お母さんにはあるの?」って。母はビックリしてましたけど。 親の介護なんてまだ先の話って思ってたけど、徐々に現実的に。解決していない問題がいっぱいあるけど、今は少しでも父との思い出作りをしたいです。 今回のサムネイルは、Fotor GoArtで、大学院の卒業式の時に父と撮った写真をインクアート風にしました。   Photo by Pixabay 4日ぶり… – LILI EN FLORIDA (muragon.com) @liliflorida on Tumblr         Read more


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