先日、フォローしている日本人ブロガーさんが、「学校で学ぶ知識は意味があるのか?」というテーマで書いていました。

小論文っぽくなるかもしれませんが、今回は「学校」をテーマに、少し自分の意見を書いてみたいと思います。

数日前のブログにも書きましたが、私は日本の大学を卒業後にアメリカの大学に編入して卒業、その後に1つ目の大学院に入学して中退、2つ目の大学院に入学して卒業しています。トータルで何年学校に通ったかな?幼稚園からだと、計26年ぐらいだと思います。

まだ受験の意味が分かっていない時期に、幼稚園受験をして合格。中学校を卒業するまでは、国立大学の附属学校に在籍していました。幼稚園から小学校に上がる時、小学校から中学校に上がる時は内部試験を受けましたが、外部から受験して入ってくる子達は、みんな優秀な生徒達ばかり。

私が学生だった頃は、相対評価の時代。だから、大体いつも良い成績を取る生徒達は決まっていました。

前回、日本に一時帰国した際、中学時代の恩師に再会しましたが、先生いわく、「教える側としても、生徒に悪い成績をつけたくないという気持ちがあったし、普段は良く出来るのに、テストに限って良い点数が取れない生徒がいた。悪い成績を付けると、生徒の親からクレームが来るから、三者面談が嫌でね。年月が経って教え子達に再会してみると、昔良い成績を取っていなかった子や、目立たなかった子が、後に有名大学に進学したり、仕事で出世したりしてる。だから、勉強がすべてではないんだよね」とおっしゃっていました。

その良い成績を取ってなくて、目立たなかった子が、私だったりします。有名大には進学してないし、仕事で出世もしてないけど…(笑) 今は、良くも悪くも自分を受け入れています。

本題の「学校で学ぶ知識は意味があるのか?」についてですが、そもそも「学校」って何だろう?って考えたりします。

日本語だと、学校は「一定の教育目的に従い、教師が児童・生徒・学生に計画的・組織的に教育を施す所」と辞書に書いてあります。でも、英語では、「An organization and institution for the teaching of children 子供達に教える組織や機関」です。

日本語と英語では、若干意味が違うように感じたりします。私は今フロリダ州にいるので、日本の学校と違う点を挙げるなら、アメリカでは、学び方が多様化していること。

私の子供達は、オンラインの小学校で勉強しています。私自身もオンラインクラスの先生をしているので、オンラインの学校が通学制の学校よりレベルが低いとは思いません。

でも、通学制の小学校と違って、オンラインの小学校は、毎日先生が近くで授業や生徒の宿題のチェックが出来ないのと、質問がある時にすぐ対応出来ないので、周りの大人がサポートする機会は増えます。

それから、オンラインの小学校の方が、普段から自分が主体で勉強するので、向く子と向かない子がいるように感じます。

自主性がある子は、自分で分からないことを調べたり大人に聞いたりするけど、ない子はそういうことをしないから、分からないままの状態でテストを受けて、再試験や補習授業が課せられます。

自分の長女と次女を観察していると、長女は自主性があるけど、次女は受身であることが多いので、長女の方が全体的に成績は良い傾向です。

昔のことを少し振り返りますが、私が大学生の頃は、テクノロジーを使った授業といえば、教室で録画されたビデオをみたり、テレビ電話を使うのが一般的でした。

テクノロジーの発展は、私達の生活に色々な変化を与えています。今後もAIの普及が進めば、先生という仕事が無くなる可能性もあるかな?と思ったりもします。

すでにアメリカでは、日本語を教える仕事は年々減っています。一応、大学院の専門が外国語教育学なので、そういう状況であることは、だいぶ前から知っていました。テクノロジーがすべての原因だとは思いませんが、多少は関係していると思います。

私が大学院に進学したのは、言語や文化の勉強が好きなのと、小さい頃から自己肯定感が低く、自分に自信をつけたかったからです。自分は得意な分野が限られていたので、消去式で自分が出来ることを続けただけと言った方がいいかな?

学校生活で得たことは、自分が望んでいた「知識」と「自信」。だから、学校自体が無意味だと思ったことはないです。

自分がこのことについてのブログを投稿した後、このブロガーさんが投稿していたと思います。このブロガーさんがおっしゃるとおり、「知識の量ではなく、それを生活にどれだけ使うことができるのかという運用力の方が実は大切」ということに、とても同感です。

「宝の持ち腐れ」ということわざがありますが、知識も使わなければ、無駄になります。

ちなみに、「宝の持ち腐れ」を英語で表現すると、

• A book that is shut is but a block → 直訳で「閉じたままの本は(紙の)塊でしかない」
• Sitting on a gold mine →  直訳で「(気づかないまま)金鉱の上に座っている」

…等が挙げられます。

私自身も気をつけないといけませんね。(笑)

 

Photo by 写真AC

「学校」とは? – LILI EN FLORIDA (muragon.com)

@liliflorida on Tumblr

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One response to “「学校」とは?”

  1. Michael Williams Avatar

    i have started to look at the purpose of schooling from a different perspective: that it should be a place where children learn to socialize. i think that this process should begin as early as possible so when I refer to school it is as early as pre-kindergarten. the rest of formal education should simply serve as practice for children on how to make friends and relate to others.

    in this way there should be no grades. if that were the case for me, I would have been a top student lol 😛 Mike

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